2009年度

「パレスチナ研究班」第7回研究会

概要

  • 日時:2010年3月21日(日) 12:00~17:00
  • 会場:早稲田大学早稲田キャンパス9号館9F、917号室アジア研究機構会議室

プログラム
    1. 臼杵陽(日本女子大学教授) )「委任統治期パレスチナと周辺地域の共産主義運動」
    2. 長澤栄治(東京大学教授) )「エジプト共産主義運動とパレスチナ問題」

報告

臼杵教授の報告はパレスチナおよび周辺諸国における共産主義運動の展開を、 ユダヤ人とのかかわりに注目しながら明らかにしたものである。 対象時期としては英国委任統治期を中心に、1980年代にかけての変化が扱われた。 アラブ諸国において共産主義は、マイノリティ問題を映し出す鏡として機能し、 宗教・宗派を超えた連帯を生む可能性としての意義をもつ。だが一方で、資本主義が未発達な地域であるがゆえに、 運動の担い手は労働者や農民ではなく、一部の知識人層に限られがちである。 報告では映画『忘却のバグダード』(2002年)の冒頭部分が上映された。 そこに登場する4人のイスラエル在住イラク系ユダヤ人共産主義者と、在米アラブ系ユダヤ人研究者もやはり知識人だが、 彼らのプロフィールからは、イスラエルおよびイラクにおける共産主義運動とアラブ・マイノリティのあり方と変遷をうかがい知ることができる。 質疑では、パレスチナの抵抗文学における共産主義の位置づけや、イスラエル国内左派と共産主義者との関係、 パレスチナの他のマルクス・レーニン主義組織(PFLP、DFLP等)と共産党の関係、などが質問された。 また共産主義運動につらなるものとして、反シオニスト連盟の地域的広がりなどについてコメントがあった。 関連する論点としては、中東イスラーム世界での共産主義における無神論の問題、 また反シオニズム運動のなかでのイスラーム主義と共産主義の関係などが議論された。

長沢教授の報告は、エジプトのユダヤ教徒知識人であるヘンリ・クリエルとアハマド・サーディク・サアドの思想と活動を通して、 エジプトにおけるパレスチナ問題と共産主義運動の展開を明らかにしたものである。報告は、近刊予定の著書の章立てに従い、 両氏の人物像とエジプト思想界における位置づけを紹介した後、活動歴を詳細に追う形で展開された。 クリエルはEMNL(Egyptian Movement for National Liberation)の創設者で、長期の国外追放生活を余儀なくされながら、 スーダンやアルジェリア独立闘争等ともつながって生涯を活動にささげ、エジプト共産主義運動に大きな影響力をもった。 これに対してサアドは、ナセル政権などによる長い投獄生活の後、共産主義、民俗学、イスラーム経済思想を含めた広い分野で多くの著作を残した。 エジプトでは1920年にエジプト社会党が結成されるが、すぐに政府の弾圧を受け、コミンテルンからの指示も受けられなかった。 1940年代に独ソ戦が始まると、イギリスの黙認のもと共産主義運動は復活するが、パレスチナ分割決議をめぐり1947年に運動は大分裂を起こす。 再統一を見るのはナセル革命後の1955年だが、その10年後にはエジプト共産党の解党宣言が出され、運動の国有化が図られた。 これら一連の流れの中で、議論の軸であり続けたのは、シオニズムへの解釈と、アラブ民族主義への対応の問題であった。 質疑では、一般の人々にアラブ人意識が芽生えた時期と契機や、運動を浸透させていく上でのエジプトの知識人層のあいだでのアラビア語使用能力、 エジプト社会におけるユダヤ人の位置づけなど、幅広い面からの質問が出された。(錦田愛子)

「パレスチナ研究班」第7回研究会

概要

  • 日時:2010年2月21日(日) 13:00~17:00
  • 会場:東京大学東洋文化研究所会議室

プログラム
    1. 錦田愛子(早稲田大学イスラーム地域研究機構研究助手) 「ヨルダンの国籍付与政策とガザ難民――パレスチナ難民の高等教育をめぐる現状と課題――」
    2. 飛奈裕美(京都大学アジア・アフリカ地域研究科博士後期課程) 「Meron Benvenisti(エルサレム市元助役)研究紹介」

報告

最初の報告は、ヨルダン・ハーシム王国在住のパレスチナ人のうち、例外的に国籍を付与されていないガザ難民に注目して、 ヨルダン政府による対パレスチナ政策、国籍付与政策、また中東における国籍・市民権概念について検討を加えたものである。 またその中でも社会的差別として大きな影響力をもつ教育という側面に焦点を当て、現地調査の結果に基づく現状分析をおこなった。 報告者はまず、在ヨルダンのパレスチナ人について、異動の時期に基づき分類・整理を行ったうえで、 それぞれのおかれた法的地位が異なる点を指摘した。次にそうした枠組みの中でガザ難民の位置づけを示し、 彼らが享受している人権の範囲を政治的、経済的、社会的側面に分けて明らかにした。 続いてガザ難民が集住するジャラシュ難民キャンプを事例としてとりあげ、 そこでUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)がおこなった調査結果に基づき、人々の生活状況や教育をめぐる困難な状況について説明をこころみた。 これらの内容を踏まえ、質疑では、ガザ難民の存在がヨルダン国内でどの程度知られているのか、 ガザ難民とムスリム同胞団やハマースとのつながり、UNRWA登録をめぐり経済的な条件は関係ないのか、 といった点について質問が出た。また1980年代半ばに日本外務省が難民支援の柱として、ガザ難民についての調査をおこなっていたというコメントなど、 今後の研究の展開に有益な論点・参照点の指摘が行われた。(錦田愛子)

本発表では、2010年3月12~16日に来日する元エルサレム市助役のメロン・ベンヴェニスティ氏の著作を元に、 彼の経歴や思想を紹介した。1934年にサブラ(イスラエル生まれのユダヤ人)第1世代として生まれたメロン氏は、 イスラエル建国者のひとりであり地理学者としてヘブライ語の地図や教科書を作成した父親の影響を強く受けて成長した。 1971~79年にエルサレム市の助役を務め、その後、ハーバード大学で政治学の博士号を修めた。 1980年代以降、「西岸地区データ・プロジェクト」を主導し、イスラエル紙ハアレツのコラムニストとして活動した。
メロン氏の思想は、サブラとしてのアイデンティティと父親の仕事の影響を大きく受けている。 メロン氏は、パレスチナ/イスラエル紛争を、同じ土地をホームランドとしてその排他的な支配を求めて争う親密な敵同士である 2つのコミュニティ間の紛争と定義している。彼は、イスラエルの左派は地理的境界線を引くことによってパレスチナ人とユダヤ人を 分離することを目指し、右派は圧倒的な力でパレスチナ人を抑圧あるいは追放することによって パレスチナ/イスラエルの地の支配を目指していると議論したうえで、自身は、左派とも右派とも距離をとり、 パレスチナ/イスラエルの地における2つのコミュニティの共存を目指すべきとする立場をとっている(二民族一国家案)。
質疑応答では、(1)イェシーヴァ教師・イスラエル建国過程で重要な役割を果たした地理学者・シオニストである父親の思想的影響、 (2)二民族一国家案の実現に向けた具体案の有無、(3)イスラエル国内のパレスチナ人の問題解決に関して、 「存在する不在者」の由来と実態、(4)メロン氏がエルサレム市助役に選任された経緯や彼の思想とエルサレム市政の関係、 について議論が行われた。 (飛奈裕美)

「パレスチナ研究班」第4回研究会

概要

  • 日時:2010年1月9日(土)13:00~17:30
  • 会場:東京大学 東洋文化研究所 大会議室

プログラム
    1. 清水雅子(上智大学)「パレスチナ政治の動態とハマースの政治参加」
    2. 武田祥英(千葉大学)「第一次大戦期のイギリス政府におけるパレスチナ政策の検討」

報告

本報告では、オスロ合意に反対の立場を取ってきたハマースが、なぜ合意に基づいて設立されたパレスチナ自治政府(PA)に 正式に参加したかを説明することで、「ハマースの全体的なビジョンの中で政治参加はどのような位置づけであり、 いかなるロジックで成立しているのか」という前回の研究会の議論での最後の問いに対しアプローチすることを目指した。 2006年1月の立法評議会(PLC)選挙は、反対派の参加による競争的選挙の成立に特徴づけられるとした上で、 ハマースの選挙への参加が決定した「カイロ宣言」に着目し、その締結に至る交渉過程(「カイロ対話」)をPA在任者と反対派(ハマース)による 交渉ととらえて分析を加えることとした。

第1部では、PA設立以降のパレスチナ政治の動態、カイロ宣言に至る政治過程、宣言の内容を概観し、分析を加えた。 つづく第2部では、ハマースにとっての政治参加の位置づけ、不参加であった第1回PLC選挙の際の内部の争点、 その文脈でのカイロ宣言の意義について分析を加えた。第3部では、PA設立と国家・社会関係の創出、 国家に平行したハマースの社会事業と正統性の獲得、アクサー・インティファーダのダイナミクスに焦点を当て、 PA在任者とハマースの間のパワー・バランスの変化が、いかに交渉の開始と帰結を導いたかを分析した。 最後に、ハマースは、PA設立以降のパレスチナ政治の動態の中でPA在任者とのパワー・バランスが変化したことで開始された対等な交渉の中で、 ハマースの論理と一貫し、運動の分裂につながらない有利な合意を結ぶことができPLC選挙に参加したと結論づけた。 また、パレスチナ内部のダイナミクスの重要性を指摘した。

質疑応答では、選挙への参加を選んだことにより政治部門以外のハマース内部でいかなる影響があったか、 ]国家を持たないにもかかわらず「パレスチナ政治」なるものは存在しうるのか、といった点に関して問題提議がなされ、 個人と組織の政治参加、ファタハ・ハマース関係でなくPA・ハマース関係として分析することの妥当性、 それらを議論する際の前提を提示する必要性、方法論的問題に関して指摘がなされた。(文責:清水雅子)

この発表では、”Jew”を集団概念として捉えるシステムが構築されたプロセスを検証した。 大戦期の英国では、苛烈な排外主義による反ユダヤ主義の高揚があった。英国において大きな影響力を行使していた ”Anglo-Jewish Association”(以下AJA)の指導者たちは、差別的に”Jew”と呼ばれた人々-英国人やロシア・東欧系の移民-を団結させることで、 ”Jew”の英国への忠誠心を示し、差別に対抗しようと考え始めた。この際彼らは、内務省の監督の下、 長年嫌悪し続けたシオニストと協力体制を構築することすら厭わなかったのである。しかし長年指導的な役割を果たしてきたAJAが、 差別的状況への応答として”Jew”の団結を喧伝したことによって、皮肉なことに、人々の多様な在り方は排除されて ”Jew”という概念に包摂されてしまった。集団概念としての”Jew”-AJAが長年反対し続けてきたもの-の創出は、 AJAの存在無しには英国では成立しえなかったと考えられる。

質疑において、当時のユダヤ人口はロシア帝国、東欧に集中しており、 英国やアメリカの既存のユダヤ人から見ればこれらの全く異質で貧しいユダヤ人たちが、 大挙として自分達の国にくるかもしれないということこそが脅威であるはずで、この点をどう議論に組み込むのか、 とご指摘いただいた。今回の発表では抜けてしまっていた所であり、今後の検証に反映していきたいと思う。(文責:武田祥英)

「パレスチナ研究班」第3回研究会

概要

  • 日時:2009年11月20日(金)16:00~18:00
  • 会場:東京大学 東洋文化研究所 大会議室

プログラム
    1. 鈴木啓之(東京外国語大学)「オスロ平和プロセス概観ー内包された危機と残された問題ー」

報告

オスロ和平プロセスについて、その具体的な内容(1.)、開始や崩壊の要因やポスト・オスロと呼ぶことができる時期における和平交渉(2.)、 そしてオスロ和平プロセスに対する批判(3.)を具体的に見た。

1.においては、1993年9月のオスロⅠ(原則宣言)署名から、2001年のタバ交渉までを概観した。 この箇所に関しては、オスロ和平プロセスはいつを終わりとして捉えられるかについて、 2000年勃発のアル=アクサー・インティファーダや1999年のシャルム・アル=シェイフ交渉を終結点として示すことができることの指摘が 会場よりなされた。

2.においては、オスロ和平プロセス直前のマドリード和平プロセスにイスラエルやPLO、そしてアメリカを向かわせた要因を確認し、 さらにオスロ和平プロセスの崩壊について、プロセスそのものに内包された崩壊の要因、交渉当事者たちの抱える問題、 社会に蓄積された不満の3点から検討した。会場からは、入植地が建設された際にパレスチナ自治政府の警察はどのように動いたのかといった 質問が出された。また、被占領地に対する資金援助においてファタハのアブー・ジハードが果した役割、 1980年代にすでにイスラエルが被占領地において自治区への準備を行っていたとの事実、 パレスチナ自治政府が外交権を持っていないことなどについて指摘がなされた。

3.においてはエドワード・W・サイードやマドリード和平プロセス関係者、 ハマースやなど和平プロセスの外に置かれた組織の代表からなされた批判について見た。 この箇所においては、パレスチナ人として個人を見ることに加え、その背景にある各組織としてのオスロ和平プロセスに対する 姿勢を見る必要性について指摘がなされた。

全体を通しては、オスロ‘和平’プロセスという呼称についての指摘やこのプロセスにおける諸取り決めが未だに効力を保持していること、 占領の定義、国際社会におけるPLOの承認の時期などについて指摘がなされた。(鈴木啓之)

 「パレスチナ研究班」第2回研究会

概要

  • 日時:2009年10月6日(火)16:00~18:00
  • 会場:

プログラム
    1. 今野泰三(大阪市立大学文学研究科)「西岸地区とガザ地帯におけるイスラエル入植地の類型学」

報告

研究会の目的: 本研究会は、NIHUプログラム・イスラーム地域研究東京大学拠点・研究グループ2・中東社会史班のメンバーを中心とする定例研究会として、 外部参加者を迎えて新たに発足された勉強会である。中東和平交渉における展望と新たな可能性を探るため、 若手や中堅研究者を中心に、基本的な問題の所在や論点について知識と考察を深めていくことを目的とする。

本初回の報告では、シオニスト入植史という観点からシオニズムを理解するためのスタート地点として、 1967年戦争以降に、ヨルダン川西岸地区とガザ地帯に建設されてきたイスラエル入植地の、 戦略上の位置づけと性格別の類型化が行われた。報告者はまず、1980年代初頭の政治地理学者による研究の論点を整理した後、 それらの研究の問題点として、1967年戦争直後に始まったヨルダン渓谷での入植フェーズにおける、 宗教シオニストと修正主義シオニストの役割が十分に論じられていない点を挙げた。 その上で報告者は、これらシオニスト諸潮流の入植者グループが建設したヨルダン渓谷の入植地を調査し、 これらシオニズム諸潮流と当時の労働党政権の関係性を見直していきたいと述べた。 質疑応答では、水利問題、米国のキリスト教右派からの支援、ロシア系移民の流入、第一次インティファーダ、オスロ合意、 「壁」建設、大イスラエル主義イデオロギーなどの重要事象と入植地の関係性等について質問が投げかけられた。 さらに、政治状況などのコンテクストを踏まえて入植地問題を捉えることの重要性や、 グッシュ・エムニームの影響力や変質の過程を踏まえた議論をすることの重要性、 また、1947年分割案以降の入植地建設と1967年戦争で新たにイスラエルが占領した領土での入植地建設との比較検討の必要性などについて、 コメントがあった。

「パレスチナ研究班」第7回研究会 ヤコヴ・ラブキン教授連続セミナー

概要

  • 日時:7月16日(木)16:00~18:00, 7月19日(日)14:00~17:00
  • 会場:東京大学東洋文化研究所会議室

プログラム
    1. 7月16日(木): Is Judaism an Obstacle to Peace in Israel/Palestine?
    2. 7月19日(日): The Use of Force in Jewish Tradition and Zionist Practice

報告

ご自身も信仰深いユダヤ教徒であるラブキン教授は一般的に「ユダヤ人の国家」として報道されているイスラエルと宗教との関係が “逆説的なもの”であると説いている。ラブキン教授によると、ナショナリズムが強くなったヨーロッパで世俗ユダヤ人によって 提唱されたシオニズム運動はイスラエルという国家の誕生過程において重要な役割を果たしたものの、 この運動は当初から伝統ユダヤ教徒や西欧社会に高いステータスを得ていたユダヤ教徒に受け入れられなかったという。 そして以上の流れを汲む思想潮流は現在、イスラエルの在り方およびパレスチナ人との和平においてそれぞれ独自の見解を持ちえている。

ラブキン教授は恒久平和の実現のために「二国家」解決ではなく、イスラエルが「シオニスト国家」から脱皮し、 ユダヤ人とムスリムとの共有の国家として再構築されるべきだと力説する。 しかしそれを妨げているのは特に1967年以降強力になったユダヤ人の「宗教ナショナリスト」勢力だけではなく、 米国に大きな政治力を誇示し、イスラエル「宗教ナショナリスト」を強く支持するエバンジェリカン派(福音派) キリスト教徒も同様に重要な役割を果たしている。逆に、伝統ユダヤ教徒はイスラエル国家像の再定義に大きく貢献する ポテンシャルをはらんでいると教授は強調する。