2011年度

JCAS次世代ワークショップ
「折り重なる境界、揺れ動く境界――比較の中のパレスチナ/イスラエル複合紛争」

概要

  • 日時:2012年1月21日(土)、22日(日)
  • 会場:早稲田大学 早稲田キャンパス 7号館414号室

プログラム *第一日目:1月21日(土) 14:00~17:10(開場13:30)
 パネル1 「越境と抵抗」 (14:20~17:10)
  • 飛奈裕美(日本学術振興会特別研究員) 「多元都市エルサレムの境界がもたらす紛争のローカル性とグローバル性――土地支配をめぐるポリティクスの事例から」
  • 鈴木啓之(東京大学・院) 「占領と抵抗の相克――被占領地のパレスチナ人市長を事例に」
  • 北川眞也(大阪市立大学) 「ポストコロニアル・ヨーロッパにおける闘争の場としての境界――移民によって横断されるイタリア・ランペドゥーザ島」
  • 岩浅紀久(ITエンジニアリング研究所研究員) 「占領政策おける境界がもたらすパレスチナ経済の課題と展望」
  • コメント 金城美幸(立命館大学・院)
*第二日目:1月22日(日) 10:00~18:00(開場9:30)
 パネル2 「揺れ動く境界、越境する植民地主義」 (10:00~12:30)
  • 浅田進史(首都大学東京) 「植民地権力と越境のポリティクス――膠州湾租借地におけるドイツ統治を事例に」
  • 武田祥英(千葉大学・院) 「「パレスチナ」の輪郭。その帝国主義的起源について――英帝国の東方政策の危機とその対応の検討から」
  • 役重善洋(京都大学・院) 「移住植民地建設をめぐる技術とイデオロギーの伝播――矢内原忠雄のシオニズム論・植民政策論をめぐって」
  • コメント 久保慶一(早稲田大学)
  パネル3 「ナショナリズムと文明の境界」 (13:30~16:00)
  • 鶴見太郎(日本学術振興会特別研究員) 「研究者が境界をずらしてみる――シオニズムの世界観の来歴をめぐって」
  • 今野泰三(日本学術振興会特別研究員/大阪市立大学・院) 「宗教シオニズムの越境――イデオロギーと神学の相克」
  • 長島大輔(東京経済大学・非常勤講師) 「ムスリムかムスリム人か――旧ユーゴスラヴィアにおける宗教とナショナリズム」
  • コメント 富樫耕介(日本学術振興会特別研究員/東京大学・院)
  •  
  • 総合議論 (16:15~18:00)
  • 総括コメント 臼杵陽(日本女子大学)

報告

 一方の側は、数千年前の神の命令を根拠に、自らの土地の権利と生活を主張する。他方の側も、同様に神の名の下に非合法活動を行う者もいれば、一見するとちっぽけかもしれないが、生活に根ざした公的活動を、信仰に基づいて着実に拡大しつつある私的グループもある。
 民族、信仰、国家、そして各国の思惑を巻き込んだ政治……錯綜するパレスチナ問題を考えるにあたって、同じく複雑な紛争や歴史的な背景に根ざした軋轢を抱える他の地域の研究者との協同によって、新たな研究上の視点や方向性を生み出したい。
 そんな企図から行われたワークショップだったが、報告者各氏、特に企画立案側の力不足が露呈していたようだ。目に見える明らかな境界、他方で明確になっていない境界が、各人の研究対象のなかにどう絡み合っているのか、紛争にかかわりあるいは苦しむ当事者たちにとっても、それらの複雑な層をなす境界を解きほぐす一歩は何か?
 むしろコメンテーター側からいくつかの提案があったものの、それを次のステップへとつなげるべく積極的に取り上げられることは残念ながらなかった。今後、ワークショップの内容を文字化して公表する予定があるために、企画立案側の奮起を期待したい。

阿久津正幸(イスラーム地域研究東京大学拠点特任研究員)

2011年度第5回(通算第16回)パレスチナ研究班定例研究会

概要

  • 日時:11月23日(祝)13時00分~18時30分
  • 会場:東京大学本郷キャンパス東洋文化研究所3階大会議室
  • 主催:NIHUプログラム・イスラーム地域研究 東京大学拠点(TIAS)
  • 共催:京都大学地域研究統合情報センター(CIAS) 地域研究における情報資源の共有化とネットワーク形成による異分野融合型方法論の構築研究会(2011年度第5回)

プログラム
    1. 報告1:臼杵悠(一橋大学大学院経済学研究科修士課程)「ヨルダンにおける都市社会:アンマーンを中心とした都市空間の発展」
    2. 報告2:役重善洋(京都大学人間・環境学研究科博士後期課程)「矢内原忠雄の植民政策論とシオニズム

報告

臼杵悠氏の「ヨルダンにおける都市社会:アンマーンを中心とした都市空間の発展」、役重善洋『矢内原忠雄の植民地政策論』について、趣旨と質疑応答について簡単に紹介し、最後に若干のコメントを述べたい。

臼杵報告
臼杵氏は、ヨルダンの首都アンマーンの急速な人口増加と経済発展に伴い、経済格差が指摘されていることに着目し、裕福な地域と貧しい地域の住民の特徴を明らかにするための分析枠組みの構築に向けた試論的な報告を行った。そのためにまずアンマーンを行政区分に分け、人口動態について調査するという手法を採用しアンマーンのリワー(県)を経済特徴ごとに分類することを試みている。  会場の方からの質問・コメントとして、先行研究については、参考文献を一次資料、二次資料に分けて書く必要があるとのコメントがなされた。次に歴史的背景について、例えばヨルダン幹線道路とオスマン帝国期におけるヒジャーズ鉄道との関連、また1994年のヨルダン-イスラエル和平合意のヨルダン側に対する経済的インパクトと格差との関連を調べる必要があるのではないかとのコメントがなされた。加えて、研究の手法について、ヨルダンについての研究とアンマーンについての研究が混同されているといった指摘や、人口動態の調査のうえで行政区のインフラやサービスなどのプル要因についても調べるとよいのではないかとのコメントもなされた。

役重報告
役重報告は、矢内原忠雄の、無教会キリスト教徒・平和主義者などとして通常流布しているイメージ・思想と彼のシオニズム支持との相互内在的連関を明らかにしようとするものであった。矢内原の経歴の紹介ののち、北大植民地政策学の影響のもと、小農救済の側面を有すドイツ内国植民への彼の積極的評価と、ドイツ・シオニストであるアルチュール・ルピンやフランツ・オッペンハイマーらとの思想的類似性を指摘し、農業植民という技術・イデオロギーが異なる植民主体(シオニズム、日本帝国主義)に参照・共通している点を描きだした。また矢内原が、植民は政治的経済的非搾取の原則に基づいて行うべきであり、事実上パレスチナにおける「二民族国家」を提唱していた点も明らかにした。さらに、帝国主義時代の農業入植の二面性として「イギリス理想主義的植民論」と「ドイツ国家主義的植民論」との概念区分を試みていた。

会場からの質問・コメントとして、まず先行研究において帝国主義研究がないこと、それとの関連で植民地主義の全体像におけるドイツ植民地主義の位置づけがわからないことなどの指摘がなされた。さらに、「中東和平」との関連でキリスト教シオニズムと植民地主義を再考・位置づける必要があるのではないかとのコメントもなされた。

両報告に関するコメント

まず両報告に共通していえるのは、日本ではいまだ十分な研究が行われておらず今後ますます発展・深化させていかなければならない研究領域であり、その意味で極めて重要な研究報告だったということである。しかし同時に、未発展な領域であるからこそだと思われるが、両報告とも関連する歴史的背景についての抑え方が不十分だった点についての指摘が散見された。
内容についてであるが、臼杵氏の最終的な研究目的は、人口移動、経済格差とエスニシティあるいは出身地との相関性の抽出ということであるように思われた。人口移動、経済格差については様々な統計データで検証することは可能であろうが、最後のエスニシティ・出身地との相関性については、別のアプローチ、例えば人類学的なアプローチなどを組み入れることも検討の余地があるのではないか、と思われる。
役重報告については、矢内原のキリスト教者・平和主義者、植民地政策研究者としての思想とシオニズム支持との内在的論理連関を抽出するという大胆かつ興味深い研究であるが、彼の「現状認識」やそれぞれの思想・イデオロギーに対する「理解」のレベルと、植民地主義、シオニズムの「実態」のレベルとの区別が曖昧なところがあったように思われる。このことは、ひいては、この研究が「一体何を目的としているのか」という広い意味での問題関心を明確に打ち出していないことと関連しているように感じられた。
文責:池田有日子(京都大学地域研究統合情報センター・研究員)

2011年度第4回(通算第15回)パレスチナ研究班定例研究会

概要

  • 日時:2011年10月23日(日)13時00分~17時00分
  • 会場:東京大学本郷キャンパス東洋文化研究所3階大会議室
  • 主催:NIHUプログラム・イスラーム地域研究 東京大学拠点(TIAS)
  • 共催:京都大学地域研究統合情報センター(CIAS) 地域研究における情報資源の共有化とネットワーク形成による異分野融合型方法論の構築研究会(2011年度第4回)

プログラム
    1. 報告1:西園知宜「パレスチナ・ナショナリズムをめぐる考察――1936年アラブ大反乱を事例に」
    2. 報告2:大岩根安里「ハダッサの抱いたアラブ人観の重層性―1930年代後半からイスラエル建国にかけてのH・ソルドとthe Committee for the Study of Arab-Jewish Relationsの見解を中心に―」

報告

2011年度第4回(通算第15回)パレスチナ研究班定例研究会では2つの発表がなされた。以下、両氏の発表の内容と会場からの反応、報告者のコメントを挙げる。

前半の西園氏からは「パレスチナ・ナショナリズムをめぐる考察――1936年アラブ大反乱」と題し、これまで1948年以後、とくに抵抗運動期を中心に語られることの多かったパレスチナ・ナショナリズムについて西洋のナショナリズムの枠組みにとらわれぬ視点から、1936年大反乱をひとつの題材としながらその構造を考察する試みについて発表がなされた。
発表に対して会場からは、固定化することのできないパレスチナ・ナショナリズムについて検証する際には、具体的な事象から歴史を追う必要性があり、議論の展開としてはナショナリズムという形のないものに対してどう語ることができるのかという議論を提起するコメント、革命のアラビア語訳がサウラであることから用語を訳する際に抜け落ちる本来の意味について考えさせられるコメントが寄せられた。

後半の大岩根氏の発表は「ハダッサの抱いたアラブ人観の重層性―1930年代後半からイスラエル建国にかけてのH・ソルドとthe Committee for the Study of Arab-Jewish Relationsの見解を中心に―」の題で、アメリカ・女性シオニスト機構=ハダッサとAJR委員会のアラブ人観の相違をあげられ、またアラブ/ユダヤ問題に関するハダッサ内部の見解の多様性について示された。パレスチナで諸事業を行ったハダッサのこれまでの論じられかたはこれまで積極的ではなかったというが、アメリカのシオニストの中でもユダヤ人であり女性であるという二重のマイノリティ状態に置かれたこの組織は周辺的であるが、アメリカのシオニストの中での特徴的な位置づけについて等、ハダッサをめぐる議論は会場でも活発に行われた。

質疑応答では前半・後半ともに「なぜこの研究をするに至ったのか」という研究動機を追及する質問があった。なぜその研究に意義があるのか、また自分の論を展開する上ではなぜそうすることになったかを主張する強さと、自身のこだわりは失えないものだと、今回の発表を聴衆としていながら再認識させられた。
文責:成田矩子(お茶の水女子大学)

2011年度第3回(通算第14回)パレスチナ研究班定例研究会

概要

  • 日時:2011年7月18日(月)12時~17時
  • 会場:東京大学本郷キャンパス東洋文化研究所3階大会議室
  • 主催:NIHUプログラム・イスラーム地域研究 東京大学拠点(TIAS)
  • 共催:京都大学地域研究統合情報センター(CIAS) 地域研究における情報資源の共有化とネットワーク形成による異分野融合型方法論の構築研究会(2011年度第3回)

プログラム
    1. 報告1:今野泰三(大阪市立大学院博士後期課程)「イスラエルの入植『政策』とマルチ・スケールの地政学:レヴィ・エシュコル政権(1965~1969年)を中心に」
    2. 映像上映:菅瀬晶子(国立民族学博物館助教)「食べさせること、生きること:イスラエルに生きる、あるアラブ人キリスト教徒女性の半生」
    3. 報告2:藤屋リカ(慶應義塾大学看護医療学部専任講師)「パレスチナ・ヨルダン川西岸地区において、紛争、経済的要因が出産場所に及ぼした影響」

報告

報告者の今野氏は、第三次中東戦争終結時からレヴィ・エシュコル首相の死去までの期間に焦点を当て、占領地でのユダヤ人入植地の建設が一貫したイデオロギーや政策のもとに進んだものではなく、多様な社会的・政治的・地理的なアイデンティティや利益をもった様々なアクターが矛盾した様相で対立や協力をしながら関与するプロセスであったことを示すことを報告の目的とした。入植地建設に関する先行研究は、「一貫論(構造論)」「転換論」「偶発論」などの潮流に分けられるが、いずれも不十分であるとし、多様なアクターが関与する矛盾や対立を内包したプロセスとして分析する必要性を提議した。まず、「植民」と「植民地主義」の定義と類型を提示した上で、入植の政治過程を、第3次中東戦争の原因と開戦の意図、1967年6月19日の内閣決定、東エルサレムの併合と「グッシュ・エツィヨン」への「植民」、シリア高原への「植民」、青写真としての併合計画の乱立・競合、イスラエルが置かれていた国際環境と植民の公式化と題して分析をおこなった。結びとして、イスラエルの入植「政策」は、政策として呼ぶにはお粗末なものであり、それぞれの時期の政治社会環境を反映して「植民地主義の中の植民」と同時に進められた「植民による植民地主義」が占領のシステムとなり、「決定しない決定」の中で進んだ植民と植民地主義の土台は第3次中東戦争直後から得修コル首相死去までの2年間に形作られたと論じた。

フロアからは、植民と植民地主義に関する類型が妥当であるかどうか、特に近代と前近代を区別することなく概念化された類型によって分析は可能であるか否か、先行研究の3分類はいずれもイデオロギーをべースにした議論であり、イデオロギーがベースになっている限り3つ以外の結論は導けないのではないか、といった質問や問題定義がなされた。

報告者の菅瀬氏は、「イスラエルで生きているアラブ人の生の生活を映像で描写する試み」として、ハイファーに住むファッスータ出身の女性ウンム・アーザル(68歳)に焦点を当てた映像を上映した。ウンム・アーザルは、生活のために修道士のまかないをする母親であり、アイデンティティは出身の村にあるが都市で働く女性として描かれている。イスラエルで生きるアラブ人の歴史を反映して数々の仕事と移動を経験し、今の仕事に就いた彼女は、あまり働かない夫にかわって賢明に働き、子供たちを立派に育ててきた。報告者は、映像について、アラブ人の生活ということはわかるものの、「イスラエルに住む」という点が映像からはわからないと振り返った。フロアからは、イスラエルの中にいることを強調する必要はむしろ無いのではないか、強調することで苦しい生活をしていると強調してもあまり意味はないため今の映像でよいのではないか、色々な仕事に就く機会を持つことができた彼女の例は特異な例なのではないか、何か背景があるのではないか、といった質問や問題提議がなされた。

報告者の藤屋氏は、占領地における健康と人間の安全保障をとりまく状況を概観した上で、出産場所に経済的要因と紛争の要因のそれぞれが与えた影響を明らかにすることを目的とするとした。分析を行う上での従属変数は出産場所であり、政府系の病院、非政府系の病院、民間診療所、産院、家がその選択の可能性として挙げられた。独立変数は、社会人口学的要因、健康保険の有無、出産の年、出産場所の選択の理由とした。またベツレヘムの聖家族病院を例に観察を行ったとした。データの分析から得られた洞察は、西岸における出産場所には、経済的要因と紛争の両方が影響を及ぼしたということであった。家での出産の数は自由な移動の制限から、そして政府系の病院での出産の数は新たに導入された健康保険の制度から説明しうるとし、紛争による直接の影響として、家での出産が増加したとした。経済的要因の影響として、経済状況が悪化した時には、非政府系の病院での出産が減少したこと、新たな健康保険の導入後は政府系の病院での出産が増加したことを指摘した。ここから、自由な移動の制限が出産場所への唯一の理由であったかと言えばそうではなく、2001年には政府系病院での出産が増えたことを示した。最後に結論と提言として、報告者は、新健康保険の制度のような経済支援プログラムは移動の制限による女性の健康への消極的効果を相殺することができるという点、国際社会は国際法を尊重して人間の安全保障への脅威を取り除くために努力すべきという点について述べた。  フロアからは、私立病院の料金は一般化できるのか否か、助産婦などの伝統的な仕組みについてはどうなっているのか、病院関連の充実を求める声はどれほどあるのか、データの解釈について自宅出産の2割減というのは大きな違いではないか、自治政府結成以前からの政治組織系の病院が自治政府結成以後にどのように変化したかについて説明が必要ではないか、西岸の特殊性をどう捉えるか、といった質問や問題提議がなされた。

この日行われたいずれの報告においても、詳細に準備されたペーパーや映像に基づいた各報告とフロアからの参加によって、非常に活発な議論が行われ、極めて意義深い研究会となった。
文責:清水雅子(上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科・地域研究専攻・博士後期課程)

2011年度第2回(通算第13回)パレスチナ研究班定例研究会

概要

  • 日時:2011年6月26日(日)12時~17時
  • 会場:東京大学本郷キャンパス東洋文化研究所3階大会議室
  • 主催:NIHUプログラム・イスラーム地域研究 東京大学拠点(TIAS)
  • 共催:京都大学地域研究統合情報センター(CIAS) 地域研究における情報資源の共有化とネットワーク形成による異分野融合型方法論の構築研究会(2011年度第2回)

プログラム
    1. 報告1:鈴木啓之(東京大学大学院総合文化研究科博士前期課程)「パレスチナ・動員基盤としての学生組織:インティファーダ以前を中心として」
    2. 報告2:金城美幸(立命館大学大学院先端総合学術研究科博士後期課程) 「イスラエルの「独立戦争」の集合的記憶―「新しい歴史学」以降の展開」

報告

発表者は社会運動論において提起される学生運動の類型(Gill and DeFronzo[2009])を出発点としてパレスチナ被占領地における学生運動の発展の過程を分析し、これによってインティファーダ(1987年発生)へと至る背景の一つを明らかにしようと試みた。分析のなかでは、被占領地において初めて四年制大学が設立された1972年を出発点とし、1987年のインティファーダ発生までを検討した。特に1985年および1986年に学生とイスラエル占領当局が衝突することで短期間の「蜂起」が行われていることに注目し、これをインティファーダへの布石として考察を加えた。

会場からは、既存の類型に時間軸を加えることによって発展段階に置き換えることの問題性や、パレスチナにおける学生の政治活動を「新しい社会運動」の立場から捉えることに対する疑義が提起された。他国による占領とそれに対する住民の抵抗という構図のなかで行われる大衆運動は、通常の社会運動論が中心的に扱う一国内における運動とは分けて考えられるべきであり、この点においてより綿密な一次資料の読み込みと分析によってパレスチナ独自の学生運動のあり方を検討することが必要なのではないかとの示唆的なコメントがあった。  (文責:鈴木啓之)

本報告は、1980年代に登場したイスラエルの新しい歴史記述が、その後の歴史研究におよぼした影響を、近年台頭を見せる「ネオシオニズム」の研究潮流との関連から考察するものであった。具体的には、エルサレムのシャレム・センターなどの研究シンクタンクを中心とし、「ネオコン」的な思想とも親和性のある「ネオシオニスト」たちのユダヤ人国家観についての言説を中心として分析が行われた。新しい歴史家の登場以降、イスラエル建国時にパレスチナ人に対する追放が行われたことは、今やイスラエルでは広く受け入れられることとなったが、そのなかで本報告は、近年のネオシオニズム的潮流のなかで顕在化しているパレスチナ人の追放を合理化する言説とその論理構造を扱った。

会場から、本報告はネオシオニストとポストシオニストの連関を論じるものだったが、ネオシオニストが仮想敵とするのは第一義的にはパレスチナ人の言説であるとの指摘や、住民移送を合理化する20世紀以降の国際関係のなかでイスラエルの言説の転回を理解する必要性など闊達な議論が行われた。また近年のイスラエル社会内の対立をイデオロギー的次元だけでなく、民営化やグローバリゼーションといった経済的観点からも捉えなおす必要性も提起された。  (文責:金城美幸)

2011年度第2回(通算第13回)パレスチナ研究班定例研究会

概要

  • 日時:2011年4月25日(月)10時~16時
  • 会場:京都大学吉田キャンパス本部構内総合研究2号館4階第1講義室(AA401)
  • 主催:NIHUプログラム・イスラーム地域研究 東京大学拠点(TIAS)
  • 共催:京都大学地域研究統合情報センター(CIAS) 地域研究における情報資源の共有化とネットワーク形成による異分野融合型方法論の構築研究会(2011年度第1回)

プログラム
    1. 報告1:田村幸恵(津田塾大学国際関係研究所研究員) 「パレスチナにおける開発援助――「NGO」からみるパレスチナ社会の伝統と変容(和平プロセスから2005年まで)」
         コメンテーター:鈴木啓之
    2. 報告2:塩塚祐太(一橋大学院社会学研究科博士前期課程)「パレスチナにおける国際援助?1993年前後の国際援助の状況とパレスチナ開発援助研究の試み?」
         コメンテーター:臼杵悠

報告

報告では、2005年半ばまでの政治的変化を背景に、オスロ合意以降「NGO」の語で括られ市民社会的として評価されたパレスチナの社会組織の実態・型と再評価が報告された。報告者の先行研究整理は、(1)オスロ合意前後の開発援助と2001年後は様相が変遷しているためNGO機能の再評価の必要性、(2)「NGO」のうち青年組織及び慈善団体など草の根型が半数を占め、かつ2000年以降有効な活動を展開している点から「NGO」分類の必要を指摘した。

最初に「NGO」は、持続可能な発展を求めるいわゆるNGO型と、慈善団体など草の根ベース型の団体とに組織を大きく二分した。具体的には前者の方のPNGOネットワーク傘下のNGO調査に基づき、前者の変革機能は潰えて社会維持機能の示唆にとどまった。後者の草の根慈善団体型のザカート委員会などが「NGO」の大半を占めの活動からは実際の伝統維持機能が紹介され、変容に関しては研究途上であり論証はされなかった。オスロ合意以降の援助が途上国援助に見られる「NGO」の自律的性格と政治性の剥奪よりも、異なる状況での社会維持機能に注目した。

質問では、PNGOの機能、イスラームNGOという語の明確な定義の必要が問われた。占領下の社会サービスの提供に貢献したNGOが機能の変遷を強いられた以上、PNGOのインタビュー調査から慈善団体の貢献を論じる事に疑問が投げかけられた。また、主旨一貫性の不足があり報告者は二つの調査を利用したがまだ調査が完成していない旨を説明した。慈善団体側の社会維持機能における観点の必要性が指摘され、また市民社会論との相違性についての質問があった。   (文責:田村幸恵)

本報告では、パレスチナにおける国際援助のこれまでの経緯を概観するため、1993年のオスロ合意前後のパレスチナ援助の先行研究のまとめを行った。パレスチナにおける国際援助においてもオスロ合意は転換点となり、それを機に膨大な援助金がパレスチナの開発に投入されるようになった。それ以前のパレスチナにおいてはアラブ諸国による資金援助が、また現場においては国際NGO、現地NGOの活動が中心的なものであった。しかしドナー間の調整機能を果たすような組織は存在せず、援助プロジェクトは個別的なものに留まった。

1993年を機に、国際的にパレスチナを援助する合意がとられ、その額はオスロ合意直後のドナー会合で暫定期間中に20億ドルがプレッジされるに至った。また各国の政府援助機関や国連機関がパレスチナで援助介入するにあたって、援助をより効率的効果的に実施するための援助構造も同時に構築されていった。世界銀行はこの調整と指揮に中心的な役割を担い、援助に関する政治的枠組みを議論するアドホク調整委員会とプロジェクトの重複と無駄を省くための技術的枠組みを議論するコンサルテーティブ・グループを中心に、様々な調整委員会、作業部会が開かれた。そしてこれら援助のパレスチナ側の受け入れとしてパレスチナ経済委員会が組織された。

このような援助調整作業の一連を反映して条文としてまとめられたのが1994年4月のパリ・プロトコルであり、これは翌月のカイロ協定の付録としてまとめられる。パリ・プロトコルはパレスチナの経済促進のために必要な財務、金融、貿易といった分野におけるパレスチナ側の権限を明確に取り決めたもので、またそれらに必要な議論をイスラエルと執り行うための合同経済委員会の設立があげられている。

これら援助に関する一連の動向において、研究者の間では様々な批判がなされており、パリ・プロトコルについても占領を維持したいイスラエルの姿勢を反映させたものだと分析されている。また世界銀行など援助機関の性質に対する分析では、官僚主義的、成果主義的な組織文化が援助を進行する上で遅延と取り組みの不適切さを招いているとの指摘がなされている。このような先行研究の上で、報告者はこの援助機関の組織文化に着目した開発分野における人類学的アプローチによって、パレスチナにおける援助構造のより詳細な理解に寄与できるのではないかとの研究方針を示した。

質疑応答では、報告者の基礎的な発表形式の不備に対する指摘も受けた。また本報告では援助構造の資金投入や政策決定といった言わば援助行程の上流部分に範囲が留まったために、その後それら政策等がプロジェクトへどう反映したかや現地への影響についても研究を進める必要があるとのコメントを得た。さらに、世界銀行を中心とした援助機関の持つ新自由主義的側面と、それによる現地社会への弊害といった点にもより注意していかなければならないとの指導を得られた。 (文責:塩塚祐太)