The Zionist Peril

本論文は、英国ユダヤ教徒社会のなかでも、学者、外交担当者として当時もっとも有名な名士のひとり、ルシアン・ウルフによるシオニズム運動批判の論文である。ウルフはブリタニカ百科事典で「シオニズム」や「反セム主義」の項を執筆していた。

この論文は、1881年の東欧ロシアからのユダヤ系移民が社会問題化し、バルフォア首相の保守党政権下で「外国人法案(Aliens Bill)」が議会で審議されはじめたことに加えて、植民地相チェンバレンがシオニスト機構に英領ウガンダへの入植を提案するという、英国のユダヤ教徒社会が非常に緊張した状況において書かれた。

本論文は当時の英国ユダヤ教徒のシオニズム観を示す代表的な論考の一つであり、かつ当時の文脈において"Jew"という用語が、"race" "naturalization" "assimilation" "nation" "liberal" などの用語とどのように連関して想起されていたのかを示す文献でもある。また、この論文で名指しで批判されていたイスラエル・ザングウィルによる論駁が同誌17巻3号(1905年)に掲載されている('Mr. Lucien Wolf on "The Zionist Peril"')。

ヘルツルが亡くなり、ザングウィルが領土主義を率いることになった画期に戦わされたこの論争は、当時の英国におけるユダヤ教徒とシオニストの緊張関係を浮き彫りにしており、"Jew"にまつわる同じ用語を使いながらも異なる意味・背景を含ませているために議論に齟齬や鋭い対立を引き起こしていたことが伺える。

同時期の英国ユダヤ教徒社会では、ユダヤ教とキリスト教、シオニズムに関する様々な論文が出ていたが、その社会的な文脈を読み込むためにも重要な論文である。(武田祥英)