犠牲者としてのユダヤ人/パレスチナ人を超えて:ホロコースト、イスラエル、そしてパレスチナ

いわゆるポスト・シオニズムの諸研究に触発されながら、イスラエル社会の犠牲者像の所在やその変容について概観した論文。建国当初、イスラエル社会においてホロコースト生存者に対する視線には冷たいものがあった。自立的なユダヤ人を目指したイスラエル・シオニズムの主流においてディアスポラは否定すべきものであり、ホロコーストはそうしたシオニズムの主張にもかかわらずディアスポラに残った「受動的な」ユダヤ人の犠牲だったからである。しかし新移民の流入等でシオニズムの統合機能が弱まると、ユダヤ人国家の存在意義を端的に示すものとしてホロコーストが象徴化されていく。一方、パレスチナ人は、パレスチナにおいてはパレスチナ人こそがシオニズムの犠牲者であったと声を上げていく…。当該地域において犠牲者がどのように語られ、政治化していくのかを押さえるための基本的論点を提示してくれる文献である。(鶴見太郎)